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2019年9月17日火曜日

インドネシア 海外出張記録 ② 首都ジャカルタ週末

インドネシア初訪問時は週末を挟んだため、観光も地味にガッツリ計画をしながら
訪問したのが事実。
まずはゲスな話ですが、インドネシアの女事情ですが、
これは、その国を知るのに、持って来いの市場調査。
SNSサイトを駆使し、釣ってみたところ、ベトナムやフィリピンほどかかりませんでしたが
褐色のスタイル抜群の20歳を捕まえました。
バストはE以上で、作り物でなく天然でした。
時間は2時間、本番有りです。
ホテルが連れ込んでよいのか、よくわからなかったので、こっそりロビーで待ち合わせて
室内へと連れ込み。
フィリピンのようにチップも要求してこず、いい女だったので納得ですが
90000ルピア(6000円程度)の料金でした。
この人は、完全な個人商売で行っているようでしたが、感想から言うと、そういったサービスは
イスラム教のこの国では基本ご法度のようです。
残念ながら、写真はありますが、公開はしていません。
翌朝、朝食を共に食べて、別れました。
早速、僕が向かったのはジャカルタで最も興味をそそられる名前の、泥棒市
に行ってみた。
場所はタクシードライバーに聞きつつ行ったので定かではないが、スラバヤ通りとかいう
通りだったかと思う。
しかし、実際に行ってみると、骨董品を扱う店が多く、盗品という感じの市ではなかったように思う。



規模も、マニラのバクラランなどと比較すると、小規模で、正直つまらなかった。
その他には、特にすることがなく、
ホテルに戻り直結しているショッピングモールのFoot massage2時間を1000円程で
してもらい、リラックスした休日を過ごせた。

たぶんジャカルタには今後、観光で来る事はないだろう、という結論に至った。

2019年9月10日火曜日

インドネシア 海外出張記録 ① 首都ジャカルタ

僕が最初にジャカルタを訪れたのは、フィリピンから日本へ帰国した同年の2014年。
インドネシアは当時、フィリピンからでも、東南アジアで一番の成長国と話題に上がる国であった。
特に自動車関係は、それまでタイが中心の東南アジアの日系メーカーの形を
タイとインドネシアに二分化されようとしていた。
 
11月の冬に差し掛かる季節に、僕は常夏のインドネシアに降り立った。
航空キャリアは、悪名高い、ガルーダインドネシア航空。
早速、渡航前にマイレージカードを作って、このビジネスが上手くいけば、何度も行き来する事になるなと
考え、カードを作った。
LCCに乗り慣れていた僕にとっては、ガルーダはそれほど悪いイメージは受けなかったが、機内は空いていた。
 
ジャカルタ空港に降り立った、僕は半年振りに東南アジアの空気を吸った。
空港には、そこそこの客引き、しかしフィリピンほどではない。
この国では、当時、ブルーバードタクシーが最も信用されており、ぼったくりも起きない事で有名であった。

今は、きっとUberの東南アジア版Grabが業界を席巻しているので、ブルーバードも少なくなっているだろう。
ホテルは、空港から30分程の所にある。老舗ホテル
Ciputra Hotelである。
住所:Jl. Letjen S. Parman, RT.11/RW.1, Tj. Duren Utara, Kec. Grogol petamburan, Kota Jakarta Barat, Daerah Khusus Ibukota Jakarta 11470 
料金:12,000円程度
このホテルは、朝食が素晴らしく、同国内では高級ホテルの部類に入るホテルだと思われる。
 
プールや、事務なども完備。ショッピングホテルも併設しているので、レンタカーがなく自由に移動できない
僕にとっては、もってこいのホテルだった。
(併設のショッピングモール)


快適なホテルに日曜に入り、久しぶりの東南アジアでの仕事に心も踊り、
僕の10日間の出張は始まった。
しかし、3日目を終えたあたりで、インドネシアで物を売る難しさに直面したのだ。
中国製が多すぎる・・・・・というのが、率直な感想だった。
 
仕事は、上手く進まなかったが、同国は、食べ物がおいしく、特にナシゴレンを完全に気に入った僕は
タクシー移動と、朝・昼の暴飲で、楽な生活を続けていた。