2019年12月21日土曜日

この5年間で初めて半年以上、海外に行かない生活が続いている。

最後に渡米したのが2019年6月。
実質、ここから関西を拠点に東京には5回、新潟1回、山梨1回、熊本1回
四国に1回と名古屋も含めると、毎月2回は新幹線に乗っている。

しかしながら、この期間、海外には行っていない。
このBLOGは基本的に海外情報を発信するBLOGとして作成したので、
海外に行かなければ新たな情報を発信できない。
これは困った。

来年に1-2回の海外出張は発生しそうだが、回数が少ない。
完全に会社の業績が米中貿易摩擦の影響を受けている!!
もはや、望みは2-3年後に発生する予定の海外駐在だが、これは
現地に住むので海外出張ではないのだ。

とにかく外に出たい。
半年も国内でジッとする生活にだんだん、嫌気がさしてきたのが事実。
Out of Japan.

2019年11月10日日曜日

日本国内 神戸-京都間 171号線 自転車の旅⑤

枚方の関西なんとか病院という大きな病院の裏手の川沿いで休憩を取っている時点で
時間はすでに、17時近くになっていた。予定より、すでに3時間押している状況だ。
 
しかし、ここからは川沿いのサイクリングロードで残りの20kmのうちの10kmを走れるので
かなり楽にはなっていた。また日も暮れて涼しくなり体は楽になっていたが尻と手のひらが限界に達していた。
淀川沿いのサイクリングロードでは次回の予定を経てて家路につくサイクリングに人達の姿をチラホラ見る事となった。

 
サイクリングロード約10kmは1時間足らずで駆け抜ける事ができたが、ここからが地獄だった。
もう残り10km走りきれば19-20時には家に着くと思っていた矢先に僕の前に立ちふさがったのは
樟葉の男山という急な坂道だ。写真では伝わらないが、かなりの角度の急坂だ。
体力残量が0に近い僕にとって、これは地獄だった。男山の坂道はほぼ歩いて上るはめになったのだ。
再び吹田で起こったような疲労感に襲われたが19時には1号線に出て久御山訪問に進んでいた。
辺りが暗くなり始めている。
無点灯では捕まってしまうので、高槻近辺で購入しておいたライトを取り付けたいがドライバーや工具がなく
取り付けれない・・・・・・・・
徐々に暗くなる1号線。危険を回避するために対向車線で車を正面から見えるように走った。
排気ガスが凄くて非常に息苦しい八幡近辺。
そんな時に工具専門店が目の前に飛び込んできた、プラスドライバーで20回転ほどできればライトは取り付けれる
かなり下手にプラスドライバーを貸してもらえないか頼んでみると店員は
『そういった製品は取り扱っていないので』と断ってきやがった!!
工具専門店が、プラスドライバーを貸してくれない!! たぶんスタッフの胸ポケットに入っているレベルだ。
店名は”ハンズクラフト”どうたらとかいう名前だった気がする。
僕も工具関係のメーカーで従事しているので今後のこの店への対応は考えようと思いました。
 
そんなわけで20時前に久御山のイオンの100円ショップでドライバーを購入し、ライトが点灯しました。
もし、ここでライトを装着していなかったら、この残り7-8kmは進めなかったです。
なぜなら久御山から宇治に向かう道を夜間走ると外灯も皆無で全く何も見えなかったからです。
 

暗すぎて写真すら撮っていませんが、雲の巣も凄くて、もうボロボロでした。
そこを過ぎた後にはGOALまで2-3kmで、最後はラストスパートでゴールしました。
到着は21時。予定より6時間オーバー。
もう二度とやりません・・・・・・・・・・・・・・・・
 
そんな自転車弾丸ツアーでした。

2019年11月3日日曜日

日本国内 神戸-京都間 171号線 自転車の旅④

吹田で心が折れそうになりながらも、まず茨城のイオンを目指そうと
約7kmの距離を必死にこぎました。太陽の塔周辺は非常に広く急勾配のため体力を消耗しましたが
偶然、目の前をプリプリのお尻をした大学生が自転車でこいでいたため、付いていけるよう必死に頑張りました。
途中の3km程は彼女のおかげで進めたといっても過言ではありません。
 
 
茨城を目指した理由は、茨城のイオンで昼食を取るためです。ショッピングモールであれば涼みながら
体力も回復しゆっくりできると思ったんですが、逆にゆっくりし過ぎて1時間も休憩してしまい
イオンを出たのは結局15時を回っていました。出発から6時間経過。行程は半分ちょっと消化。
絶望感が半端なかったです。


 
体力は60/100ぐらいまで回復しましたが残り距離は4/10と考えるとゴールは難しく思い
京阪沿線で自転車を置いて帰宅する道を選ぶ事びしました。
茨城から高槻ー枚方ー淀あたりまで移動して自転車は後日、車で取りに来る作戦です。
それであれば残り15km程いけそうな気がしました。
さらに知人のアドバイスで淀川沿いなら走りやすいサイクリングロードがあるのを教えてもらいました。
この時点でお尻は痛く、立ちこぎを繰り返していたため、手首に負担がかかり手のひらと
お尻は限界を超えていました。
高槻に着き次第、手袋・飲み物を補給し、夕刻以降の走行に供えてライトも購入しました。
 
そこからの難所は、高槻を過ぎて171号線に別れを告げ、枚方の橋に向かう際の坂でした。
この坂はきつかった。
ただ、枚方到着後のサイクリングロードはかなり順調に走れ20km/時間レベルで10km程を走行でき
距離もかなり巻き返す事ができた、唯一のデメリットは昨今増えている本格的なサイクリングの方々に簡単に抜かれていく
+お尻が痛いので、どちらかに傾いて運転している姿を見られているのが非常に恥ずかしかった点です。
 


※写真が少ないのは、途中から体力が尽きてしまったためです。

2019年10月30日水曜日

日本国内 神戸-京都間 171号線 自転車の旅③

 さて、前回までは以前の15年前の記憶を遡りながらBLOGを書いていましたが
ここからが本番で、これは実際に2019年7月の真夏真っ盛りに30代後半になった僕が
自転車で神戸から京都まで行った話になります。
 
当日は蒸し暑かったものの、幸いカンカン照りの天気でなく曇り空だったため日焼けによる

体力の消耗を抑えれたのは大きかったです。
ルートは極力懐かしの171号線を使いたかったのですが、走りにくそうなので神戸から武庫川まで
土地勘もあるため住宅街を練り走る作戦でいきました。朝9時に出発し気温は27度ちょっと。
500mlのペットボトル2本にタオルを2本持って出発しました。
神戸-芦屋と抜け、山手幹線を走り抜けて開始90分程であっという間に西宮の171号線を通過する事ができました。
この界隈は走りやすく悪路も少なく高低差もないため順調に体力も残して進む事ができました。
そして住宅街を抜けて武庫川に到着した所で時間は11時過ぎ。
もともと4時間-5時間で走り抜ける計画でした。この時間の根拠は自転車時速15km/hで道のりは約55km
休憩無しなら4時間、1時間休憩で5時間です。到着予定は15時頃でした。
武庫川までは15km程でしたが無駄に2時間費やして、1回目の休憩。

川底に人の足のような物が見えて一瞬ビビリましたが鉄のパイプでした↑↑
武庫川を越えると171号線を出たり入ったりで万博記念公園を目指しました。
太陽の塔が見たかったのと排気ガスを避けるため交通量の少ない道をチョイスしました。
しかしこのチョイスは大きな間違いでした。
出発から2時間しても吹田にはなかなか着かず、しかも千里から茨城界隈は坂道が非常に多く体力を奪われます。
上りは全力で、せっかくの下りは信号などに邪魔されて下りの力を生かす事ができずに
吹田の直前で力尽きました。すでに出発から4時間、手持ちのPETボトルはすでになく、コンビニで500mlx2本と
アイスクリームで糖分を取ります。ちなみにトイレには1回も行っていません。
橋の下での休憩は、動く気をなくしていきます。気温は31度を超えてきました↓

二度目の休憩で残り約60%の行程が残っているにも関わらず4時間以上が経過・・・・・・
スマホで自転車を電車に乗せる事ができないか検索を始めました・・・・・
完走できるのか・・・・・


2019年10月22日火曜日

日本国内 神戸-京都間 171号線 自転車の旅②

堅田の宿泊施設に到着した僕等4人は、とりあえずチェックインした。
時刻は22時だった。
完全に疲れきっていたし、何より足がパンパンであった。
ホテルは湖沿いに建つ綺麗なホテルで、平日という事もあり、人はほとんど宿泊しておらず
僕と、1人の友人と到着と共にタバコを吸った。
高3から、悪びれるため友人に薦められて吸い始めたタバコは、高校卒業間近、習慣になりつつあった。
 
部屋に戻ると、リーダー格より連絡があった。
4人とも、追ってきたクラスメイトが遭難しているのではと思っていただけにドキドキであったが
事態は、結構、深刻な状況であった。
リーダー格の友人曰く、『あいつは、今、交番で保護されている』
山科の山越えの際に、途中で疲れて、山道に座り込んでいる所を、パトカーに見つけられ
保護されたそうだ、『あいつの親が車で迎えに来る事になったから、俺はコテージに戻る』
僕等は全員『良かったー』っと安堵した。
卒業前に、”行方不明”が脳裏をよぎる中、安心して、風呂に入った。
数時間後に帰ってきたリーダー格の男は、疲れきっていた。
 
その日は、皆で語る事もなく爆睡状態で寝た。当然、翌日はチェックアウトギリギリまで寝てしまい、
10時に出発となった。堅田から時計回りで琵琶湖1周を目指していたが、体中が筋肉痛で、
正直、5人中2人の意見は、自転車を捨てて電車で帰らないかという案まで出ていた。
さすがに、それはできないので琵琶湖1周は諦め、京都に行く事にした。
 
メンバーの1人の父親が高級レストランのシェフでお昼をご馳走してもらう事となっていたのだ
約2時間で京都に着くのは難しかったが、13時には京都に到着した。
途中、琵琶湖の沿岸でキャッチボールなどをして時間を使ったのが響いたが、
13時にはお店に入店した。
お店は、鉄板焼きのレストランで、今でなら価値がわかるが、2万円はするコースを
ご馳走になり、気持ちの1000円だけ支払った。
 
その後は京都市内のユースホステルに宿泊し、何事もなく、時は過ぎて行った。
なぜ、今日ここで、こんな10年以上も前の話をUPしたかというと、
15年以上の時を経て、もう一度、神戸-京都間を自転車にて片道ですが行こうと思っているからです。
 
その旅BLOGをこのサイトでアップしようと思っています。

 

2019年10月15日火曜日

日本国内 神戸-京都間 171号線 自転車の旅① 行方不明事件

かつて、高校時代に友人5人と計画して、卒業時に自転車の卒業旅行を
実行した事がありました。
当時、僕は17歳、元々はクラスの男子5名+女子2名の7名で行く予定でした。
 
出発はJR住吉駅から滋賀県の琵琶湖を1周して帰るという内容で、
2泊3日で高校卒業式までの休みの期間を利用して行きました。
 
朝6時に集合し、国道2号線を西宮方面に東に移動しました。
待ち合わせ時間の少し前に、女子の1人がドタキャンの連絡を入れてきました。
そして、その仲の良かった、もう1人の女子も6時半になっても来ませんでした。
 
僕らは結局、5人で出発しました。元々、女子は足手まといだったので、不要でした。
西宮の171号線には、7時半には入りました。
僕らは、当時、人気のあったインディーズパンクロックの歌を皆で歌いながら、ひたすら自転車をこぎました。
8時過ぎ、西宮市から尼崎に入ろうかというところで、リーダー格の友人の携帯に着信がありました、
なんと、もう1人の女子は寝坊で、8時頃に住吉駅を出て、こちらに向かっているとの事でした。
昼休憩時に、待つことにして、僕らは先を進みました。
正直、その子のせいで、1時間遅れになり、何の連絡もなく、さらに1時間送れて出発、
2時間も待つ気にはなりませんでした。
しかも、女子なので、正午にはさらに差が付いている可能性がありましたし、
正直、追いつけない事を知ると引き返してくれると思っていました。
 
正午になり、大阪の高槻に入った所で、休憩を取りました。
徐々にお尻が痛くなり、立ちこぎと、座りこぎを繰り返しているところでした。
1時間昼食も兼ねて、お昼を取り、もう1名の女子の居場所を確認すると、まだ西宮市でした。
ペースでいうと3時間遅れているので、引き返すように伝えて、僕らは先を進むこととしました。
 
15時前には、京都に入りました。
ここで171号線から国道1号線に道は変わります。とにかく、早く琵琶湖が見たくて
皆、無心でペダルをこぎました。
京都市内で、本屋に寄り、今みたいにスマホでホテル検索などができないガラケーの僕らは
ホテルを探しました。
ちょうど、琵琶湖の堅田と呼ばれる場所に4000円ぐらいで宿泊できるホテルを見つけました。
そこを予約して、大津方面に向かいました、時間は17時前、徐々に日が暮れてきて、
ふくらはぎもパンパンになってきていました。
そんな時に京都市内から山科ー大津に抜ける山道をママチャリで越えるのは過酷というか
正直、限界でした。
19時にようやく大津に到着、ギリギリ琵琶湖が見えましたが、すぐに暗くなってしまい、先を急ごうと
した時に、リーダー格の携帯が鳴ります
『えっ!? 付いて来てるの? どこ? まだ高槻? 早く引き返せ』
あの女子が付いて来ていたのです。正直、彼女の根性に驚かされつつも、
僕等に待つ選択肢はなく、湖西側をひたすら自転車でこぎました。
 
途中に3000円で食べ放題という店を見つけました。時刻は20:30
すでに空腹と疲れで限界でした。
堅田までは数kmの所で、夕食を取りました。
夕食は、最高においしく、皆、ご機嫌でした。そんな中でリーダー格の友人が
電話片手に外に出て行きました。
『おい、大変や、あいつ、まだ自転車で追ってきてて、今、泣きながら山道で迷ったって電話があったわ
、たぶん山科ん所の山越えしてるんやと思う、暗くてメッチャ恐いと思うわ、俺、迎えに行って来る』
そういってリーダー格は皿の上の食事を一気に食べて出ていきました。
残された4人は、とりあえず出ているものを口に入れて、すぐに追いかけましたが、
すでにリーダー格は、かなり遠くまで進んでおり、携帯に電話があり、先にホテルにチェックインするよう

言われて、僕ら4人はホテルを目指しました。

2019年10月8日火曜日

台湾旅行編 ③ 夜の遊びとマッサージ。

台湾で2日間、野郎共だけで、自由に行動できるチャンスがあったので
色々とできないか、行動してみました。
 
まず、こちらに知り合いがいないのとツアーガイドのおじさんに聞いた所、
あまり風俗的な遊びはお薦めされなかったので、情報無しで行く事になりました。
 
宿泊していた、Regent Taipeiの周りには地味に日本人を狙った多くの客引きや
チラシを巻いている奴等がいましたが、それにノレばぼったくられる印象が
強く、足で探す事になりました。
まず、最初に見つけたのは足つぼマッサージ。

ここはホテルから5分もかからない所にあります。
住所:No. 4號, Lane 13, Section 1, Nanjing East Road, Zhongshan District, Taipei City, 台湾 10491
マッサージは上手く、おかみさんが30代半ばで綺麗です。
夜にいって、客が僕一人だったため、ついつい、あらぬ事を考えてしまいましたが
特別サービスなどはやっていません。
しかし、おかみさんのマッサージをまた受けに2泊3日で二回も行きました。
1時間:250台湾ドル ※約800円ぐらいでした。
 
続いては風俗のほうですが、宿泊ホテルから南に歩きます。
すると南京東路一段というのが現れます。
その大通りを渡り、更に南に進みます。
すると、周りの雰囲気が、だんだん寂しく怪しくなっていきます。
すると天津街という通りを南に歩きます。
 
路上にチラホラ、風俗店を紹介する人たちが出てくるので、そこで、
いい店がないか聞きます。長安東路一段という道を左折します、
すると、”水研館”という所に連れて行かれます。
そこは地下の店舗になっており、個室で区分けされており、3畳一間で
分かれています。料金は大体、1時間で
1700台湾ドル でもヌキまでと言われました。
 
ここには数人で行きましたが、僕は約束どおり、ヌキだけでFカップ以上はある
爆乳を選びましたが、他の数名はきっちり、最後まで追加料金なしで
やったようでした。
しかも、その中の一人は中○しまで、していました。恐ろしい話です。
 
そんな台湾の夜でした。
何だか、久しぶりに楽しかった旅行でした。
 

2019年10月2日水曜日

台湾小旅行 ② 仕事じゃない海外旅行編。

さてさて、台北で食べた、美味しいものですが
 
・小ロン包で有名なディンタイフォン。
こちらは日本の高島屋なんかにも店舗を構えていますが、
やはり輸入できない香辛料の関係から台湾で食べるほうが、より美味しいです。
台北101にある店舗と本店の2店舗に行きました。
 

正直、本店よりも台北101の1階店舗で食べたほうが美味しかったです。



ちなみに本店は混雑も半端ないのでお薦めしません。

・台北駅 周辺 屋台のような店舗の小ロン包。
 
こちら、店名は覚えていませんが、台北駅から、ビジネス街に入って、
2本か3本中に入った小さな店舗で、中年のオジサンが一人でキリモリしています。
食べる所は店先の小さなテーブルで、椅子もありませんが、凄く美味しかったです。
現地に行けば行き方を思い出しますが、詳しい場所を説明できません。
 
価格も、ディンタイフォンの3分の1程度の価格でした。
携帯をなくして写真もないので”伝説の小ロン包”屋としています。

また二回目に台湾を訪れた際に、前回紹介した九分の近くには十分という場所があり、
そこでは、願い事を書いて、空にランタンを上げる、アクティビティが体験できます。
これは九分に行くなら必ず行ったほうが良いと思います。

次回は、足のマッサージと、夜の世界を更新します。
台湾の夜も悪くなかったです。

2019年9月24日火曜日

台湾小旅行 ① 仕事じゃない海外旅行編。

2016年と2017年に台北に行った記録を、出張ではありませんが記録がてら
残しておこうと思います。
台湾は日本から飛行機で4時間程度の、大変行き易い国の一つです。
二度に分けるのは面倒なので、1回で二回分の旅行の情報を掲載します。
 
まず台北の宿泊地ですが、1度目に宿泊したのが
ホテル名:Sparkle Hotel Taipei
場所:台北101の道路を挟んだ向かい側。
価格:朝食付きで1泊8000円/泊 程度

感想:立地は最高です。しかし部屋に窓がなく、正直、寝るだけのホテルといった感じでした。

二度目に泊まったホテルはツアーだったので価格は不明でしたが最高でした
ホテル名:Regent Taipei
場所:場所も良いと思いますが、毎日ツアーバスで移動なので、どの辺りかは記憶にないです。
感想:とにかく朝食が最高。部屋も最高です。きっと宿泊費も最高です。

台北の観光で皆様が一番、立ち寄る所の一つは雰囲気のある
場所:九分
千と千尋の舞台になったとかならなかったとかですが、二回行きましたが
両方共、雨が降っていました。階段が多いので、お年寄りには不向きですが、
雰囲気は良いです。
色々な屋台があり半日は見るのにかかりますが、行く価値はあります。



そして台北101
ここは、確かに景色は素晴らしく、一度目は夜景を見に行きましたが
そちらも良かったです。ただ東京スカイツリーと遜色はないのではと思います。
記念に行くのはありですね。
入場料:1000円以内ぐらいだったと思います。

他にも、色々行っていますが、続きは次回にします。
台湾は基本的に食べ物がおいしいのですが、あちこちで匂う臭豆腐が、たまりません。
こいつに食欲を奪われます。
しかも、あんまり台湾人も食べている所を見たことがない・・・・・

2019年9月17日火曜日

インドネシア 海外出張記録 ② 首都ジャカルタ週末

インドネシア初訪問時は週末を挟んだため、観光も地味にガッツリ計画をしながら
訪問したのが事実。
まずはゲスな話ですが、インドネシアの女事情ですが、
これは、その国を知るのに、持って来いの市場調査。
SNSサイトを駆使し、釣ってみたところ、ベトナムやフィリピンほどかかりませんでしたが
褐色のスタイル抜群の20歳を捕まえました。
バストはE以上で、作り物でなく天然でした。
時間は2時間、本番有りです。
ホテルが連れ込んでよいのか、よくわからなかったので、こっそりロビーで待ち合わせて
室内へと連れ込み。
フィリピンのようにチップも要求してこず、いい女だったので納得ですが
90000ルピア(6000円程度)の料金でした。
この人は、完全な個人商売で行っているようでしたが、感想から言うと、そういったサービスは
イスラム教のこの国では基本ご法度のようです。
残念ながら、写真はありますが、公開はしていません。
翌朝、朝食を共に食べて、別れました。
早速、僕が向かったのはジャカルタで最も興味をそそられる名前の、泥棒市
に行ってみた。
場所はタクシードライバーに聞きつつ行ったので定かではないが、スラバヤ通りとかいう
通りだったかと思う。
しかし、実際に行ってみると、骨董品を扱う店が多く、盗品という感じの市ではなかったように思う。



規模も、マニラのバクラランなどと比較すると、小規模で、正直つまらなかった。
その他には、特にすることがなく、
ホテルに戻り直結しているショッピングモールのFoot massage2時間を1000円程で
してもらい、リラックスした休日を過ごせた。

たぶんジャカルタには今後、観光で来る事はないだろう、という結論に至った。

2019年9月10日火曜日

インドネシア 海外出張記録 ① 首都ジャカルタ

僕が最初にジャカルタを訪れたのは、フィリピンから日本へ帰国した同年の2014年。
インドネシアは当時、フィリピンからでも、東南アジアで一番の成長国と話題に上がる国であった。
特に自動車関係は、それまでタイが中心の東南アジアの日系メーカーの形を
タイとインドネシアに二分化されようとしていた。
 
11月の冬に差し掛かる季節に、僕は常夏のインドネシアに降り立った。
航空キャリアは、悪名高い、ガルーダインドネシア航空。
早速、渡航前にマイレージカードを作って、このビジネスが上手くいけば、何度も行き来する事になるなと
考え、カードを作った。
LCCに乗り慣れていた僕にとっては、ガルーダはそれほど悪いイメージは受けなかったが、機内は空いていた。
 
ジャカルタ空港に降り立った、僕は半年振りに東南アジアの空気を吸った。
空港には、そこそこの客引き、しかしフィリピンほどではない。
この国では、当時、ブルーバードタクシーが最も信用されており、ぼったくりも起きない事で有名であった。

今は、きっとUberの東南アジア版Grabが業界を席巻しているので、ブルーバードも少なくなっているだろう。
ホテルは、空港から30分程の所にある。老舗ホテル
Ciputra Hotelである。
住所:Jl. Letjen S. Parman, RT.11/RW.1, Tj. Duren Utara, Kec. Grogol petamburan, Kota Jakarta Barat, Daerah Khusus Ibukota Jakarta 11470 
料金:12,000円程度
このホテルは、朝食が素晴らしく、同国内では高級ホテルの部類に入るホテルだと思われる。
 
プールや、事務なども完備。ショッピングホテルも併設しているので、レンタカーがなく自由に移動できない
僕にとっては、もってこいのホテルだった。
(併設のショッピングモール)


快適なホテルに日曜に入り、久しぶりの東南アジアでの仕事に心も踊り、
僕の10日間の出張は始まった。
しかし、3日目を終えたあたりで、インドネシアで物を売る難しさに直面したのだ。
中国製が多すぎる・・・・・というのが、率直な感想だった。
 
仕事は、上手く進まなかったが、同国は、食べ物がおいしく、特にナシゴレンを完全に気に入った僕は
タクシー移動と、朝・昼の暴飲で、楽な生活を続けていた。

2019年9月2日月曜日

6月のアメリカへの出張の旅の記録⑨ シカゴ周辺

さてセントルイスを出た後は、ひたすら北上でした。
途中、標識にHistrical route 66の標識が出たときはテンションが上がりました。
 
いわゆる、シカゴからロスまでをかつて繋いでいたRoute 66 国道の跡地になります。
現在も走れるらしいのですが、GPSの推奨道路では出てこないので
自身で見つけない限り、見つけるのは難しいでしょう。
 
今回は仕事の都合上、ウィスコンシン州に用事があったので、シカゴの西側を北上する
今まで通った事がないルートでしたが、問題なく500km1日で運転しました。
しかしながら、あちこちで戸惑ったのはI-Passが付いていないオハイオで借りたレンタカーでは
あちこちのI-Pass専用ゲートで後日ネット払いになる事です。
以前は、こんな状況でなく各出口の無人支払機にコインを投げ入れるのが普通でしたが
このオンライン支払いは、地名の名前を覚えきれないので難しいです。
 
そのため、全てペナルティ料金が加算された金額で請求がくるでしょう。

まぁ仕事なので、そのまま請求するつもりです。

その後、数日ウィスコンシン州に滞在し、オヘア空港より
何事もなく、ロサンゼルス経由で羽田へと帰国しました。
今回は約2000mile(3200km)を1週間程で走りました。半分は遊びですが、
これはなかなか長かったです。レンタル当初は1500mileでした。
 
それにしても、帰りに経由したLAXは、ドンドン綺麗になっていく感じがしました。
西海岸に用事はあまりないので、使う機会はオヘアに比べれば極端に少ないです。
こんな、アメリカ15日間の滞在でした。



2019年8月27日火曜日

6月のアメリカへの出張の旅の記録⑧ 世界遺産カホキアへ

マンモスケーブを後にした、僕は
セントルイスを目指し足早に移動しました。本来マンモスケーブ付近では
バーボンを生産する有名な所らしいのですが、
そんな事も振り払い、ひたすら運転しました。
その距離、450km.

道中はひたすら、アメリカらしい風景が続きます。
フリーウェイをひたすら、100km以上走ったりして、18時前にセントルイスに到着。
翌日は、イリノイ州の世界遺産カホキアを訪れました。
カホキアはインディアンの古墳が20個も存在する不思議な所で、
あんまり有名な世界遺産でもないのですが、一応寄るだけ寄った感じです。
Visitor centerがあるのですが、インディアンの生活に興味がなかったので
そこは飛ばしました。
centerがある建物から歩くのが普通みたいなんですが、一番大きい古墳だけ見るなら
道路を挟んだ反対側にも駐車場があるので、そちらから行くのが
一番、近くて早いです。
あいにくの雨だったので、車を止めなおし、マウンドとかいう
一番、大きい古墳を上がりました。
余裕で登れます。
人もほとんどいません。
上からの景色は、天気が良ければ気持ちいいですね。
早々に退散しました。特に入場料などもかかりませんでした。
この日も500kmの移動があったので、足早にカホキアを去り、シカゴを目指します。

2019年8月20日火曜日

6月のアメリカへの出張の旅の記録⑦ マンモスケーブ国立公園 その2

さてバスに乗り込んでツアーが始まると、15分程走った所で
バスは停車し、小さいドアがある入り口へと入っていきます。
トイレはないので、必ず行っておく事をお薦めします。
中に入ると、すぐに冷たい空気が流れます。
コウモリが多数生息しているため、カメラのフラッシュは絶対たかないように
注意されました。
また10cmぐらいのスパイダーがあちこちにいます。触らないように
進みます。
すぐに階段が出てきたのですが、思っている以上に狭い階段が
ほぼ垂直の穴に設置されています。こんな所にどうやって設置したのか
と思うぐらいの穴に階段が設置されています。
少し降りたところでレンジャーが説明を始めます。150段ぐらいは降りたでしょうか?
こんな感じのベンチが置ける広い空洞があります。
ここで、レンジャーが色々説明してくれるのですが、おもしろかったのが、
『みんな静かにして、携帯は見ないで、静かに目をつぶって』と言い、
付いている電気を消しました。

・・・・・・
完全な静寂です。
完全な暗闇です。
こんな経験を現代社会でなかなかできる物ではありません。
大自然の中でも月明かりや星の光がありますが、そこは完全な暗闇でした。

レンジャーが続けます。
『かつて、この洞窟を見つけた冒険家の甥にあたる女性がいました。
彼女は、この冒険家にご飯を届けるために、毎日、中に入っている冒険家に
一人でマッチの明かりだけで、ご飯を届けにいくほど、その冒険家を愛していました』
と言い、マッチを付けました。
今は大勢がいるので、恐くないですが、こんなの恐怖でしかありません。
人を愛するとは、このレベルなのか!? と驚きました。
ちなみに冒険家の名前は忘れました。

そんな話を聞き、更に洞窟の奥深くに進みます。
結局、歩いた時間は60分程で、全く疲れる事がなかったツアーでした。

最後にFroozen Naiagara という鍾乳洞を見て、出口に到着しました。
帰りはバスで戻り、元のVisitor centerへ到着しました。
時間もなかったので、足早にマンモスケーブを後にしましたが、
今度は乗馬ツアーなどにも参加したいです。

ケンタッキー州から一気にイリノイ州のSt Louisを目指します。

2019年8月15日木曜日

6月のアメリカへの出張の旅の記録⑦ マンモスケーブ国立公園

ケンタッキー州にあるマンモスケーブ。
今回、事前に予約して、ツアーを予約しておきました。

ツアー名:Domes and Dripstones Tour
価格:$17
所要時間:2時間

このツアーは良かったです。
まず予約は英語が理解できないと、少し難しいかもしれませんが
Google翻訳を使えば、ある程度はわかるのではと思います。
今回は疲労も考慮して、10:00-からのツアーを予約し、
Visitor centerには9:30に到着。連休という事もあり車は7-80%埋まっていました。
Visitor centerに入ると、まさかの
↑凄い人の行列です。受付で聞くとチケットの購入でなく、チケット購入済みの
人が受付を済ませる行列。20分は並びました。
ちなみに小さくて、わかりにくかったですが9:30の時点で16:30までの全てのツアーは
全て売切れです。絶対、予約していく事をお薦めします。
日本語のツアーサイトは、ないと思います。

受付を済ませる、各Sheltterという屋根付きのサイトに行かされます。
受付で2番と言われたので、2番の所に行くと、すでにレンジャーによる説明が
始まっていました。
聞いていると、10kmは歩く、最初の2kmぐらいは楽だが、後はしんどいので
十分に注意するように的な事を言っています・・・・
んんんんん!? 僕のツアーは二時間だぞ。10km(7mile)も歩けるかいな・・・・

緑色のバスに乗り込めといわれたので、不安満載でチケットを見せてバスに乗り込もうと
すると、バスの運転手が『これは9:45のツアーだ、おまえのツアーは10:00-からで
別のツアーだ』と言われました。
良かったー、10kmなんて歩けねぇよぉと思っていました。

一つ前のツアーが送れて出発したようです。
気をとりなして10時前に僕のツアーの説明が始まりました。
60人程度の参加人数で老若男女、下は5歳ぐらいの子供までいたので、
結構、安心しました。
270段の階段を登り降りする旨を伝えられ、その他、細かい説明を受け、
いざバスに乗り込みました。
ちなみにアジア人は、インド人3名を除くと僕だけでした。
日本人はおろか黄色人種は1人もいないのは、どこか疎外感を感じました。
ちなみに説明は、少々早いアメリカ英語。
英語がわからなくても60%ぐらいは楽しめると思います。

たぶん、目安としてTOEIC900点レベルの人ならわかるんではないでしょうか。
ジョークが在住者や海外慣れしていないとわかりませんが、僕もわからないジョークは
多々あるので、気にしないでいきました。

また次回。

2019年8月8日木曜日

6月のアメリカへの出張の旅の記録⑥ オハイオ州-ケンタッキー州へ

この日はホテル出発時から、良い事がありました。
野生のウサギが2匹も僕のレンタカーの周りでウロウロしています。
なぜか自然豊かな土地に癒され出発。

インディアナポリス周辺で用事を済ませて、シンシナティを抜けて
ケンタッキー州のレキシントンという付近まで突っ走ります。
午前中で済ませる予定が、かなり押してしまい、結局14時頃にシンシナティを通過
する事になりましたが、今までのアメリカ滞在、一番ヒドイ渋滞に捕まってしまい。

シンシナティを抜ける50kmに二時間を費やす予想外の時間を浪費しました。
シンシナティのダウンタウンが見えました↑

おかげで写真はゆっくり撮れましたが、ガソリンも大幅に消費し、
給油もどこかでしないといけなくなり、踏んだりけったり。
結局、ケンタッキーに入ったのは18時頃、昼飯抜きで移動したので
夕飯はPanda expressでプレートを注文し、本気食いしました。
これで$10.00 ※パンダの回し物ではありません(笑)
夜の20時にようやくホテルに到着。シャワーを浴びて、速攻で寝ました。
翌日は、土曜日のため、なんでケンタッキーまで車を走らせたかというと、
翌日、マンモスケーブ国立公園 世界遺産に行きたかったからです。

翌日はホテルから20分で国立公園に到着。
マンモスケーブは、500kmの洞窟のある巨大スケールの世界遺産です。
ツアーを予約しているのでVisitor Centerでチケットを受け取りに行きます。
ツアーの詳細は、次回ーーー